スティーブン・スピルバーク監督の「レディ・プレイヤー1」。
たった2時間20分の映画で「メタバース」についての知識が向上します。
レディ・プレイター1とは仮想世界「OASIS」の中に眠る宝物を探す物語なのですが、その世界がまさにメタバース空間にそっくりです。
私たちが今後実現しようとしているメタバースは、映画の中の「OASIS」(人間を中心に構築された、存在論的な感覚没入型の仮想環境)にとても似ています。
本記事では、その類似点について解説していきます。
この映画を一本見ることによってメタバースについて余裕で理解できてしまうのでまずは予告編からどうぞ。
目次
私なりにどのような点がWeb3.0が実現しようとしているメタバースに近いのか考えてみました。
考えられる項目は下記です。
- OASISはゲームの域を超えた社会になっている
- 匿名性に優れている
- ゲーム内で獲得したコインは現実世界で換金可能
- ゲームで購入したものが実際の自宅に送られてくる
- ゲーム内の感覚を現実世界でも感じることができる
- ゲーム内ではそれぞれが仕事を持っている
細かい要素を考えるとたくさんの要素が挙げられますが、上記のような要素がメタバースに近いでしょう。
Web3.0のメタバースでは「経済圏」がより重要視されているため、ゲームを超え社会になっているところは大きな類似点です。
- OASISでプレイするだけで生きられる
- 現実世界より仮想世界の方が生きやすい
今の現実世界で流行りの「Play to Earn」まさにそのモデルの最終形態と言えます。
人々はOASISの世界で生き、現実世界に戻ってくるのはトイレ・食事・睡眠の時のみです。
それら以外の全てはOASISで賄えてしまうわけです。
つまり、仮想空間だけで生きられる経済圏が出来上がっていることになります。
経済圏の完成はメタバースの理想そのものです。
レディ・プレイヤー1はWeb3.0の特徴でもある「匿名性」に優れており、OASIS内では実際の人物とは異なったアバターを設定できます。
- ゲーム内の見た目と実際では異なった見た目
- ゲーム内では名前も変更可能
- 住んでいる地域もバラバラ
普段のわたしたちもそうですが、オンラインゲームでマッチした方がどこに住んでいる誰かなど特に気にしません。
同じように、メタバース空間でも一緒にプレイする方がどこの誰だっていいんです。
ゲームを楽しくプレイできれば、一緒にやっている方がどこの誰だってかまわない。
それがメタバースの世界です。
OASISではゲーム内で獲得したコイン・アイテムを換金することによって生活をすることができます。
- ゲーム内で獲得したコインを現実世界で換金可能
- ゲーム内で獲得したアイテムを現実世界に送ることも可能
- モンスターを倒すことでレアアイテムがドロップすることも
OASISでは、フィールドのモンスターを倒すことでコインやアイテムがドロップしそれを売却したり、換金したりして現実世界でのお金を稼ぐことができます。
また、ゲーム内で獲得したアイテムを現実世界の住所に送ることも可能になっています。
まさしく「Play to Earn」です。
メタバース空間はNFTゲームのように全てのアイテムがNFTと関連付けられており、それを売却して稼ぐことが可能です。
実際にThe Sandboxという有名なメタバースゲームはフィールド上のほとんどのアイテムがNFT化されています。
メタバース空間では、現状の技術では難しいですが、感覚没入型の体験が理想とされています。
※感覚没入型とは五感を感じながらゲームをプレイすること。
OASISの中では、視覚・聴覚・触覚を感じることができます。
- 誰かに触られたことを感じることができる
- VRで視覚てきに仮想空間を味わえる
- 聴覚も仮想世界につながっている
ゲーム内では、特定のスーツを着用することによって「触覚」を感じることが可能になります。
スーツを着用してから、人に触られたり、耳元で囁かれたりする際に主人公がかなり驚いていたのでかなりリアルな感じであることが想像できます。
ゲーム内では色々な職業が描かれていました。
- ゲーム内で壊れた機械を修理する仕事
- 珍しいものを集めてそれを売る仕事
- 誰かに雇われてスパイなどをする仕事
- 施設の管理人の仕事
私が見落としている事もあるかもしれませんが大体このような仕事がありました。
ゲーム内でも自分の得意を生かして仕事を行い、収入を得る。
そこで得た収入を現実世界で換金して生活する。
これがサイクルになります。
実際に現在のブロックチェーンゲームはLANDを売り出していることが多く、今後の流れとしてはその所有しているLANDでこのようなビジネスが始まっていくことが予想されます。
仮想世界だけで生きられるのも近いかもしれません。
このゲームには先に述べたように多くの「メタバース」を理解する要素が含まれていました。
しかし、それ以上に今後のブロックチェーンゲームの課題を示唆した作品だったとも感じています。
- ゲームは稼ぐものではなく楽しむもの
- 匿名性は守るべきだが個人次第で情報漏洩の危険性はある
- 自分の好きなことをやりなさい
- ゲームは何かに縛られてやるものではない
この映画を見ると「メタバース」についてとても感覚的に学ぶことができます。
しかし、それ以上に「ゲームは楽しむことを忘れてはいけない」を思い出させててくれました。
楽しみながらゲームをしてお金のことは考えてなかったけど、収入がたくさん増えていた。
これが理想でしょう。
本質を見失ってはいけないよ。
それを「レディ・プレイヤ1」は教えてくれました。
純粋にゲームを楽しんでいた小さい頃。
大人になるに連れて、効率性や個体値など気にし始めて純粋には楽しめなくなりました。
情報が何もなく自分で色々試し、発見を繰り返し楽しみながらゲームをしていた小さい頃。
わからないことがあったらすぐにネットで検索・SNSで検索して考えようともしない自分。
新しい発見に驚いて心からゲームを楽しめることが少なくなりました。
ネットでしか会えない友達。
ゲームをプレイした時にその友達がログインしていたら、またあの子とゲームができる!と思って本当に嬉しかった小さい頃。
ゲームをやるのに友達を誘うのは当たり前。
ありがたみを感じることも小さくなってしまった自分。
など色々と考えさせられる映画でした。
「メタバース」を学ぶとともに、あなたにとって「ゲーム」って何?を本当に深く考えさせられる映画でした。
これが2018年に上映されたなんて信じられません。
P2Eが流行る今を見据えていたんじゃないかと思うほどです。
あなたにとってゲームがどんな存在ですか?「楽しむもの?」「交流を深めるもの?」それとも「お金稼ぎのもの?」